渡鹿野島(わたかの島)|的矢かきの誕生
的矢地区でカキの養殖を始めたのは、水産学者佐藤忠勇である。1927年(昭和2年)、佐藤は真珠養殖筏に付着して成長するカキを偶然発見し、養殖に乗り出す。翌1928年(昭和3年)には的矢では当時の他の産地よりカキの生育が早く養殖に適することが分かり、商業化に踏み切った。この時、佐藤は「垂下式養殖法」を確立し、「産地直送方式」を採用した。
清浄かき
戦後は一転して真珠養殖が奨励されるようになり、カキの養殖高は減少した。これにはアメリカ軍が「日本のカキは不衛生だから、食べないように」と指示を出したことによるという。この言葉を聞いた佐藤は再び奮起し、生でも安心して食べられる「無菌かき」作りの研究を開始する。1945年(昭和20年)、紫外線で殺菌した海水を利用したカキの浄化法を考案、1955年(昭和30年)に「オゾン・紫外線併用殺菌海水装置」の特許を取得した。この技術は的矢かきのブランド力を一層高め、欧米にも知られることとなった。
2001年(平成13年)、三重県の地域ブランド・三重ブランドの第1号認定の際に松阪牛・伊勢えび・真珠・あわびなどの産品と共に的矢かきも認定されました。